2008年10月18日
鏡
不機嫌そうに怒った顔をしているのは簡単だ。
文句を言おうと思えば文句を付ける相手は世の中に無尽蔵にあるし、だいたい他者を批判するのは良い点を認めるよりずっと簡単なのだ。(なんでもいい。目の前にあるものを一つ選んで「ケチをつけて」見てほしい。実に簡単に不平不満を列挙できる事に気がつくはず。)
実際、鏡に写る自分の顔をじっくり見ていると、何にも考えていないいわゆる自分のニュートラルな顔が、いかにぶすっとした顔になっているのかに気がついてびっくりする。
それに、不機嫌な顔をしているとだいたい周囲の人は触らないようにほっておいてくれる。誰とも関わりを持たずに、自分だけに籠っていられる。楽であるに違いない。
絶えず微笑んでいる方が実はずっと難しい。
お笑いなど意図して笑うようにしむけられた状況を除いて、まず心がある程度穏やかで平和でないと笑えない。
それに自分の環境 -- 目の前に居る人であったり、その場所だったり、もっと抽象的に自分の置かれている状況だったり -- を自分がある程度好意的に捉えていないと、やはり笑えない。
つまり自分のこころの状態とつねに向き合って、対話をしていないと、微笑む事はできないんじゃないかと思う。
それににこやかに微笑んでいるということは、周囲に対して自分はオープンであるというメッセージを送っている事だとも思う。だから、例えば他の人が語りかけて来る事に対して「Welcome!」と言える準備ができていなきゃならない。自分だけのことを考えているよりは、きっと大変だろう。
でも不機嫌な顔をしている人よりは、微笑んでいる人の方が、確実に周りを幸せにする、と思う。
だから、できるだけ微笑んでいる時間が長い人でいよう。鏡を見ているとそんなことを思ったりする。
水島新司先生の「ドカベン」に微笑三太郎というキャラクターが居て、連載当時彼の座右の銘は「常に心に微笑みを」だと紹介されていた気がする。
今考えてみれば彼はものすごく難しい discipline を自分に課していたんだな、と思う。
(追記)
実は日常鏡をのぞく時間というのはそんなに長くないし、その長くない時間には必ず何か用がある。ひげを剃ってみたりとか、歯を磨いてみたりとか。
だから、たまに髪を切りに行って、文字通り手も足も出ない状態で、自分では何もすることなくただただ鏡に写った自分の顔をしげしげとながめる、なんていう時間は実はめったに無い特殊な経験なのだ。
だから、こんなことを考えついたりもする。というわけで思いついた事を書き留めてみました。
投稿者 umemuro : 2008年10月18日 19:19
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