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2008年04月13日

Value System

今日の日記は、いささか politically incorrect かもしれません。

先日、研究室で大学院生とこんな議論をしました。
(ただ私たちの研究室の専門は価値論でも哲学でも比較文化論でも歴史学でも社会学でもないので、素人が好き勝手しゃべっている域を出ませんから、割り引いて読んでください。)

今の世の中は、異なる価値観を認め受け入れることを是としているようだ。
でも、どうも観ていると世の中には、そのことが是だと頭では理解しているけど、どうもハッピーではない人が結構たくさん居るように思える。
なぜだろう。

たぶんそれは、こういうことなんじゃないか。
自分と異なる価値観を持つ人が目の前に居て、その人とその人の価値観を認めて受け入れるということは、言葉を裏返すと自分の価値観を否定することになるからじゃないだろうか。
自分がこれまでの人生で自分の考えや行動の拠り所として「これが良いことだ」「これが正しいことだ」と信じてきた信念。これが別に完全に否定される訳ではなくても、少なくともその有効範囲に著しく制限がつく。少なくとも目の前の人はそれを正しいことなどとは思っても居ない。実はそれを正しいこと、良いことだと思っていた人は、世界で自分だけなんじゃないんだろうか?
つまり信じてきたものが基礎からぐらつく不安と不快。
これが「多様な価値観を受け入れなくてはならない」と自分で自分に言い聞かせてきた人が漫然と感じている、ハッピーでないことの根源なのではないか、と。

例えば100年前なら、これはさして問題にならなかっただろう。アメリカ人の価値観? はいはいどうぞ。だって海の向こうのアメリカでアメリカ人がどう生きていようと自分たちには関係ありませんから。でも、21世紀の「グローバリゼーション」の時代の今は、自分と違う価値観の人間と面と向かって(あるいはネットを挟んで)一緒に生活しなくてはならないから、そうは行かない。

ではどうすればいいのか。
議論の中で出てきた1つの現実的な答えは「自分の価値観を修正して適応する」。
なるほどもっともらしくて説得力がある。でもじっくり考えると、いくつか疑問が生じる。
まずは自分の信じてきた信念や価値観を疑ってかからなくてはならないことに抵抗がある人にとっては、たとえ「修正」といえどもやすやすと受け入れられるだろうか?
そして、その方法だと、未知の価値観が目の前に現れる度に永遠に修正をし続けなければならない。でも、例えばある程度高齢になってそんなことをし続けるのはもういやだ、と思う人もいるかもしれない。その人たちの選択は「あきらめ」なのか?
また、一人の個人が修正して適応することができたとして、今度はその個人と「社会の価値観」との乖離はどう考えるのか?
そんなわけで、それが問題の根本的解決になるのかどうかは、今ひとつよくわからない。

そんなところが、先日の議論で出てきた話でした。
続きはまた気が向いたら。

投稿者 umemuro : 19:07 | コメント (0) | トラックバック