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2007年06月28日
They Think, I Drive.
最近授業をやっていてもゼミをやっていても心の中でいつも思うこと。
They think, I drive.
They はもちろん学生。授業でも、ゼミでも、学生がその頭脳を本気で使って考える。私の仕事はその「本気」を引き出すべく彼らを「駆動」こと。
私は、現時点では例えばE川先生のようなスーパーマンではない。なら、学生の2年間を最高の2年間にするために私は何が出来るか。計り知れない可能性を持って来た学生に、maximumな driving force を与えることだろう、と今は思う。
もちろん drive の仕方を間違えれば結果は変な方へ行く。力をかければ良いというわけではない。彼らのアウトプットを見ながら、適切な drive をする。真剣勝負。でも、うちの学生は優秀なので、ちょっと drive するとすばらしいアウトプットを吐き出してくれる。
「なんだ、車でドライブするようなもんか。気楽なもんだ」と思ったあなた。 Genesis の "Driving the Last Spike" を聴きなさい。こんなに悲痛な "drive" があるのかと涙するから。
そんな、全身全霊とか魂とかじゃないかもしれないけど、とにかくその時の自分の最大限の力で学生を drive すること。それが今の私の役割と思っている。

投稿者 umemuro : 2007年06月28日 00:23
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コメント
幸いかな、幸いかな、梅室先生は「先生」という自覚を持っておられる。
当たり前と思うなかれ。そのお人よしな性格が災いしてノーベル賞を逃したわが師は心ここにあらず。みずから設立した研究所を空けて国内外を駆けめぐり、相談する時間すら持てずに机の上に書類を置けば、それは教授室にある数ある書類の山の頂に一時保管され、やがてカンブリア紀やジュラ紀の地層のごとく考古学の対象へと変貌してしまう。時は分子生物学最盛期。「我先に」と悲鳴が上がるほどのバイオテクノロジーブーム真っ盛りの時代でした。
そんな心もとない状況下に置かれても大学院を修了できたのは、本人が知らぬところで先生がラジコンで僕をDriveされていたためだろうか。
Near enough is not good enough.
研究室メンバーの紹介コメントを読むにつけ、この研究室の学生は幸いかな、と思う。研究費がないといい研究ができないわけではない。工夫次第である程度のことはできてしまう。しかし心がないといい研究はできない。これは研究費があろうが工夫しようが(心がないと工夫もしない)限界がすぐ目の前に見えてくる。
数字には表せないこの快適な研究環境を活かさない手はない。SD法で他の研究室と比較するのは野暮というものである。学生さんは頭で汗をかきながら、研究室に在籍している間、全力疾走してみてはいかがだろうか。その価値は十分にあると思う。
疑う、疑う、疑う。論文の内容を疑う。先生の言っていることを疑う。このコメントを疑う。はなから決めつけることは罪だが、疑うことは罪ではない。一方で、信じることは罪ではないが、それは科学ではない。
投稿者 K.OGA : 2007年06月29日 12:26
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