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2007年04月23日

明るい廃墟

Virginia Tech で銃の乱射があったり、長崎で市長が狙撃されたりした先週の木曜日、朝日新聞の「私の視点」欄で作家の吉岡忍氏がオピニオンを書いていた。
(残念ながらこのエッセイはオンラインでは読めないらしい。朝日新聞のバックナンバーを探すか、私に連絡を下さい。スクラップのコピーを個人的にお送りします。)

吉岡氏の廃墟、あるいは「世の中の終末」のイメージは暗黒の闇でも、紅蓮の炎でも、狂乱でもないらしい。氏によれば「まずそこは、きらきらと明るい」。そして「人間たちは…(中略)…あれを食べたい、これを着たい、この人が好き、あれもこれもしなくちゃ、と少し忙しく、少し幸福だ。しかし、自分の忙しさや快適さや幸せの邪魔になるものについては、おそろしく不寛容だろう。無視する、キレる、あるいはひょっとして殺すかもしれない。明るくて、無知。忙しくて、攻撃的。快適で、不寛容。幸福で、暴力的。そんな人間たちがあふれかえった社会。それが、私が思い描く廃墟のイメージである」と描写する。

この文章を読んで、やられた、と思った。いや、もっと適切な表現があるのだろうけど、とにかく、私が漠然と今自分のいる社会について感じていた疑問 ー みんな結構豊かで、あまり不自由もなくて、たぶん結構幸せなんだろう。でも、漫然と感じるこの社会の住みにくさはなんだろう?という疑問 — に対して、ひとつの明確な答えを出してくれた。吉岡氏は「薄い表面を明るさと忙しさ、快適さとちょっとした幸せが覆い、飾っている」世界の終わりの姿であると断言した。そして「明るい廃墟は人間の生きる場所ではない」と斬って捨てた。ああ、これが僕自身がなんとなく消化不良のように心に溜め込んでいたものの正体なのだと。

昨日うちの大学で高齢化社会をテーマにしたシンポジウムがあり、パネリストの一人、元連合会長の鷲尾悦也氏は「共同体」の復権について述べられていた。また商工中金副理事長の大武健一郎氏は社会、特に地域社会への参画の重要性についてお話しされた。他の講演者の方も含めて非常に見識に満ちた含蓄の深いお話をされた。吉岡氏の話、昨日のシンポジウムでのお話、そして以前書いた藤原正彦先生の「国家の品格」の話と、ある共通する警鐘を現代社会にならしているように思えるのだが、一方でこれらの話が若い学生の世代にどのくらい響いたかというと正直不安である。

世の中は金儲け偏重に突っ走っている。金を儲けた人間が一番偉い。あるいは「結果」を出した人間が偉い。その人間がどんな人間性を持っているかは問題にならない。本学の学生・卒業生を含めて若い世代がこぞって「自分が」金を儲けていい家に住んで豊かな暮らしをする、自分だけは「負け組」に入らずになんとか逃げ切りたい、というゴールに向かって突っ走っている。だって「競争社会」なのだから。そう思っていれば、吉岡氏の廃墟の光景はある意味必然の結果であるし、鷲尾氏や大武氏の望んだ社会での個のつながりの実現は遠のき、経済はどんどん発展するけど社会は崩壊する。すべて彼らの警告と逆の方向に進んでいるように見える。

以前にも書いたけど、今の競争社会は「グローバリゼーション」というのしを付けたアメリカの経済的帝国主義の支配体制が具現化したもの。ヨーロッパはそれでも「アメリカ流グローバリゼーション」とは一線を引いて自分のポジションを保っている様に見える。だって「誇り高き欧州」と「新参者の新大陸」だもんね。一方我が国は何にも考えずすんなり受け入れつるあるようだ。少なくとも日本の政治家にそんなことを考えるつもりはないらしい。ま、日本は51st State だからしょうがないか。でもいいんですか?自分の国の貧困層の問題を未だ解決できないまま、富裕層とエリートに集中した富と知を武器にそれが唯一絶対の価値だとして世界に自分のシステムを押し付ける国の言う事すんなり聞いていて。当然予測される結果は、比較的近い将来日本はアメリカと同じ貧困層と社会不安の問題を抱えて、社会崩壊する、だと思うのだが。

投稿者 umemuro : 2007年04月23日 01:08

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