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2007年04月06日

マンガの向こうに見ていたもの

エスカレータに乗って立ち止まっている私の横を、大学生とおぼしき男 — というよりは英語でboyと言った方がしっくり来る — が足早に追い抜いて行く。片手に少年ジャンプを、まるで聖書のように抱えながら。その姿を見送りながらふと考えたこと。

なぜ20年前の自分は、大学のサークルの部室であんなに長い時間を費やしてマンガを読みあさっていたのだろう?今現在でも学生室に行けばジャンプやサンデーや、数シリーズの単行本コレクションが積まれている。たまに超多忙な時に突然30分とか1時間とか現実逃避をしにいく事は有るが、日常習慣的に読む事は無い。だから思う。なぜ — ちょうど今現在目の前にいる学生たちと同じ様に — 昔はあれだけの時間をマンガに費やしていたのだろうか、と。

この問いに対する答えは、まだはっきりとはわからない。ただ現時点での考えは、いかにそれまで自分の知らなかった広い世界が存在するのかということを、確認する作業だったのではないか、ということ。高校生だった頃、受験勉強と部活と家だけで完結していたころには知らなかったそれは、歴史であったり料理であったり、格闘技であったりあるいは自分と完全に違う場所で同じ時間をパラレルに生きている違う世界の人間であったり。

高校生のころはそれなりに違う世界への憧れはあった。例えばロックに憧れていた。でもその向こうに見える世界は、西欧、あるいはポップカルチャーというある意味画一的な世界だ。その世界には詳しくなった。ある程度。しかし大学のサークルの部室に散らばっていたマンガは、全然違う、もっと広い世界のことをを知っている人がいる — しかも案外身近に — ことを伝えていたのではないだろうか。

じゃあ、今なぜ読まなくなったのか。多分、少し長く生きて、世の中だいたい何がどこにあるか見える様になったからではないか、というのが今の見解。何がアフリカにあって、何が歌舞伎町にあって、何がワシントンD.C.にあって、何が六本木ヒルズにあって…多分、今の自分にとっての「新しい世界」の質が変わったのだろう。 (それとも単に「忙しく」なっただけかも知れないが)

最後の疑問。高校を卒業して大学に入った若者に、新しい世界を見せるのは本来大学の — この場合は狭義の大学、すなわち講義だったり研究だったり — の役割だったんじゃないのか? これに対する答えは、(大学の)黒板に書かれていた数式の向こうに見えた世界があまりに抽象的すぎたからか、あるいは同じ世代からのメッセージの方が強く伝わったからか — まだよくわからない。

投稿者 umemuro : 2007年04月06日 21:20

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