« 2006年09月 | メイン | 2007年01月 »

2006年11月12日

死ぬな。2

毎日新聞が、最近問題が顕在化している学校でのいじめに関して、「死なないで」と題して何人かのメッセージをシリーズで掲載している。

第1回のあさのあつこさんの、真摯な、まっすぐに子供に向かいあうようなメッセージ

http://www.mainichi-msn.co.jp/kurashi/katei/news/20061109ddm013100020000c.html

も心にささるようにしみ込んで来て思わず涙が出そうになったが、第2回、「家栽の人」原作者の毛利甚八さんのメッセージには、現在の教育現場の教育者および行政への痛烈な批判が込められていて、とても共感を覚えた。

http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/edu/news/20061110ddm013100019000c.html


それに比べて、

http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20061111k0000m040066000c.html

なんで東京都民はこんなのを首長に戴いているのか、まったく驚くやらあきれるやら絶望するやら。あのアメリカでさえ(ようやく、とは言え)ブッシュに No を突き付けたというのに。我が国の首都の civilalization はあのアメリカに比べてさえ、2、30年遅れているということなんだろうな。

本館の夜景

投稿者 umemuro : 19:35 | コメント (0) | トラックバック

2006年11月08日

○○の秋

気がついたらなんと2ヶ月更新してないんですね。今までの最長記録ではないだろうか。

10月の半ばに続いて、先週末の3連休の真ん中土曜日にビッグイベントがあり、しばらくそこに向けて突っ走って来た感じです。終わった翌日の日曜日はほとんど機能していなかったし、週が明けて大学に通う平日が3日目になった今日、ようやく調子と平穏な日々が戻って来た感じです。10月半ばのイベントの時には歩き回ると汗ばむからと行ってまだ夏物のスーツを着ていたのに、あれから2週間ちょっと、いつコートを出そうかとタイミングをはかる時季になりました。

さてこの秋私とその周りで変わった事のひとつに、通勤で本を読む様になったことがあります。

以前は、通勤時間は論文や、本も英語の専門書とかばっかり読んでいました。研究者としてわずかな時間も無駄に出来ない、という強迫観念にでも駆られた様に。疲れた時等はたまに息抜きに数独をやるくらい。でも、最近日本語の文庫本の小説や新書を持ち込む事が多くなりました。研究者としての能力に翳りが出て来たという事か、などという心配もちょっと頭をよぎったりするのですが、専門分野の(英語の)文章ばかり読んでいるのとはまったく違う刺激が頭と心にじわっと染み込むのを強く感じ、それを正当化の理由にしています。

今朝は、遅ればせながら「博士の愛した数式」を読んでいました。なぜか6ドル5セントの値札がついた文庫本。まだ半分も読んでいないのですが(従って結末をまだ知らないのですが)、今朝一節を読んで涙ぐんでしまいました。主人公の「私」がある問題に取り組んでいる時の描写です。

「その時、生まれて初めて経験する、ある不思議な瞬間が訪れた。無残に踏み荒らされた砂漠に、一陣の風が吹き抜け、目の前に一本の真っさらな道が現われた。道の先には光がともり、私を導いていた。その中へ踏み込み、身体を浸してみないではいられない気持ちにさせる光だった。今自分は、閃(ひらめ)きという名の祝福を受けているのだと分かった。」

私は数学が専門ではありませんが、その昔数学なりパズルなりをやっていて、思いがけず突然「見えた」瞬間の自分の身体的感覚をありありと思い出しました。いや、おそらく多くの人が一度は体験している「ひらめき」という瞬間を、これだけ美しく描写した文章は見た事がありません。おそらく、この小説を読み終わった時にはもっと違うことに感動しているんだろうな、と想像はつきますが、とにかく今朝は、朝の7時台に電車で文庫本片手に涙ぐんでいる男の姿が同時に頭の中に浮かんで、我慢するのに必死でした。映画も見てみようかな...

というわけでなんとなく「読書の秋」な今日この頃です。

守衛所に置いてあった盆栽

投稿者 umemuro : 08:22 | コメント (2) | トラックバック