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2005年11月26日

お悔やみ

先日、私たちの学科の学生さんが一人亡くなりました。中国からの留学生でした。
この話を聞いてから1週間ずっと、ふと気がつくと頭にこのことが浮かんできて、いろんなことを考えました。でもいつも、いろんなことを考えるだけで考えがまとまりません。ですから今回はあきらめて、考えがまとまらない、と書く事にしました。
故国を離れ、異国の地でたった一人、命を閉じたその気持ちはいかばかりだったろう、と思います。ご両親や家族にも会いたかったろう。自分だったら…?と、5年前一人でアメリカに住んでいた時の自分を重ね合わせて考えてみたりもしました。やっぱり自分だったら家族に一目会いたい。会えずに一人逝くのは寂しすぎる。あらためて家族の大切さや人との絆をかみしめるきっかけにもなりました。
私の研究室にも留学生が何人か居ます。いつもは日本人の学生と全く区別せずに接していますが、考えてみれば彼らは故郷と家族を残し、たった一人言葉も通じない国に来ているという境遇じゃないか。いろいろ考えてあげなきゃいけないのかな... いやいや、そんな事言ったら一人で下宿している日本人学生はどうなる?でも、彼らは日本語通じるし、日本人ということで留学生に比べれば格段に不自由なく生きているはずだし... などと、いつまでたっても答えなんか出ない問いを繰り返してみたりもしました。
それにしても、ご両親の無念や指導教員の先生のご心痛はいかばかりかと思います。本当に、心からお悔やみを申し上げます。本当に、残念な事です。

投稿者 umemuro : 22:12 | コメント (1) | トラックバック

2005年11月14日

みんな気をつけて

政府の新型インフルエンザ対策というのが発表になったようです。
新型インフルエンザ対策、治療薬の備蓄強化 集会制限も (asahi.com)
この記事を読んでちょっとびっくりしたのですが、10万人単位で人が死ぬ事を想定しているんですね。なんでも人インフルエンザと鳥インフルエンザが交配(?)してできたもので、人間に免疫がないとか。
この季節になると、研究が追い込みになる4年生と修士2年生に、「大詰めになってから風邪で1週間寝込んだりすると(研究に)致命傷になりかねないから、健康にだけは気をつけろ」と毎年言うのですが、もしもこんなインフルエンザが流行ったりしたら、そういうレベルの話じゃなくなってしまいますね。みんな寝込んだりしたらどうしよう?風邪やインフルエンザが大流行りしたときの指導は過去に経験がないので心配です。今年度は修論発表会・卒論発表会ができないなんて事態にならないだろうな?
まあとにかく、今出来ることはインフルエンザの予防接種を受けて、あとは手洗いとうがいを習慣づける事くらいでしょうか。今年はいつにもまして、電車の中などで遠慮なくウィルスをまき散らしている無神経な人間に腹が立つ事が多くなりそうです。
東の空の月

投稿者 umemuro : 23:24 | コメント (0) | トラックバック

2005年11月12日

筋トレ

昨日、とある事情から、帰宅してからその夜のうちに英語の論文を2本読みました。
夜の12時近くだというのに、(自分で言うのもなんだけど)すごい集中力。結局寝たのが2時過ぎだったけど、実に心地よく疲れていました。
そうして布団の中に入りながらふと頭に思い浮かんだこと。例えばイチローは、プロの野球選手として、筋トレやランニングなどのトレーニングをほぼ毎日欠かさずこなしてるはずです。。それと同じように、私もプロの職業人としての「筋トレ」を欠かさず積み重ねなくてはいけないんじゃないか。それは別に腕立て伏せをすることではなくて、例えば今日やったような事が、私にとっての「筋トレ」なのではないか。そんなことを考えました。
それでは、早速明日から「一日論文○本以上」を自分に課すことにしようか、などと思って昨日はそのまま寝たのですが、今日起きてみたら、実はちょうど一年ほど前に既に同じような事を言っていたのに、なんてことを思い出したのでした。

色づき始めたイチョウ

投稿者 umemuro : 00:01 | コメント (0) | トラックバック

2005年11月04日

「9.11」

最近チョムスキーの「9.11」の翻訳本が文庫本になっているのを見つけ、遅ればせながら読んでみました。
(原著は9.11直後に確か誰か買っていたような気がするけど、結局借りたりしませんでした。)
実に読み応えがありました。この際主義主張の違いは問題ではなく(私はチョムスキー寄りですが)、それより何より、間違い無く現代の最高の知性の一人である著者が、「批判とはこうやってやるものだ」と全力で見せてくれている、その論説の展開に圧倒されました。さすが『米国にとって最重要の米国批判者』。こういう本を読むと「ああ、勉強が足りないな」と思います。「すごい」と感じさせてくれる本や人に出会うと、強くて新鮮な刺激を受けて、また自分も前に進まなきゃ行けないと思う(実際どれだけ進めるかは別として)。そういう幸福な出会いのひとつだったのだと思います。
ここのところ文学作品ばかり読んでいたような気がするのですが、とにかくこの本の脳を洗われるような刺激は新鮮でした。少しじっくりとチョムスキー読んでみようかな。

色づき始めた葉

投稿者 umemuro : 00:35 | コメント (0) | トラックバック

2005年11月01日

ゴミ箱と負の強化

昨日朝、JRの電車に乗って、終点で乗り換えのために降りようとしたときのこと。
今まで座っていた座席をふりかえると、足下にビニールの手さげ袋が丸まって落ちています。「あれ?今朝Kioskで買ったオニギリのゴミを入れた袋、かばんの中に入れておいたと思ったけど何かの拍子に落としたかな?」と、もどってつまみ上げてみると、どうやら自分の袋ではないらしい。まあ、一度拾い上げたものだし、ゴミ箱に持っていけば車内美化にもなるし、と思って持ったまま電車を降りました。それが不幸の始まり。
電車から降りてホームをウロウロしたのですが、ゴミ箱がない。テロ防止に神経質になった頃、ホームのゴミ箱が一斉に撤去されてから、最近ではすこしずつ戻ってきたと思っていたのに、そのホームにはくず入れが全然見当たらないのです。まあ、階段を上って、人通りの多い(+自販機や売店のある)コンコースに出たらあるだろうと思って、ビニール袋を指先でつまみながら階段を上っていく。しかしそれでもない。ジュースの自動販売機の横には空き缶専用のゴミ箱(リサイクル箱?)があるけど、普通のゴミを入れるくず入れが全然見当たらない。右手でビニール袋をつまんでいるため、左手で荷物を二つ束ねて持っているので、左手がどんどん痛くなってくる事が、イライラと不快感を余計に募らせます。
というわけで、最終的に次の電車に乗るホームでくず入れを発見するまで、片手の指先にゴミをぶら下げたままずーっと歩き続け、すっかりミゼラブルな気分になってきました。もう二度と、電車の中にゴミが落ちているのを見ても、拾ってゴミ箱に捨てようなどとは思わないでしょう。ゴミ箱をホームからなくすことは、テロ対策には効果的なのかもしれませんが、一方で車内美化に協力しようなどと二度と思わないように私に負の強化をしてくれた事も事実なのでした。

夜の図書館

投稿者 umemuro : 00:09 | コメント (1) | トラックバック