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2005年05月06日

いま嫌いなもの

だいたい私は根が天の邪鬼なので、嫌いなものが多い。私を知る人は、私が昔から「官僚は不能だ」(=潜在的に能力はあるけどそれを発揮できないしくみになっている)と言っているのを知っているし(だから国家公務員のI種合格を蹴ったし)、「政治家と飯を喰うくらいならうんこ喰った方がましだ」というのもこの先変わりそうも無い。で、今何が嫌いかと言うと、「コンサルタントを名乗る人間」が大嫌いだ。
誤解のない様に言っておくが、「コンサルタント」が嫌いな訳ではない。いわゆるコンサルタントにも尊敬できる人はたくさん居る。ただ、そういう尊敬に値する人は、えてして自らをコンサルタントなどとは呼ばない。一方、私が大学を出て某民間企業に勤めて大学に戻って今日に至るまで、自らの肩書きに「コンサルタント」とつけている人間でろくな人間に出会わなかった。たまたま私の運が悪かったのかもしれないが。
もちろん「コンサルタント」という職業を否定する訳ではない。「コンサルタント」だってりっぱな職業だ。ただ、上記の「コンサルタントを名乗る人たち」を生理的に受け付けないだけである。
私たち学者、すなわち academia の住人は、「ほんとうのこと」(あるいは、『真理』)を口に出して言うために、毎日それこそ「死に物狂い」の努力をしている。聞きかじった事は必ず裏を取る。読んだ事は必ず情報源を明示する。自分で考えた事は実証し、99%正しいと確信がとれてから初めて公言する。「語りつくし得ぬ事には沈黙しなくてはならない」(ヴィトゲンシュタイン)の世界である。「やつらの言っている事はまず『正しい』と信じていい。」これが、一部を除いて実体経済に直接的な貢献をしていないにもかかわらず、我々学者が社会で一目置かれてきた理由だと私は信じている。
一方で、「コンサルタント」はしゃべってなんぼ、の仕事だ。ものを話さないコンサルタントは存在価値がない。で、とにかくしゃべる習性の副産物なのだろう。彼らの話を聞いていると、週末に読んだビジネス書に書いてあった事でも、誰かと飲みながら聞きかじった話でも、とにかく話す。あたかも絶対の確信があるようにそれらしく話せばOK。真実かどうかの確証なんて関係ない。60%の勝算さえあればとにかく行く。それがビジネスというものだ。私には彼らがそういう風に映る。
加えて言うならば、我々学者は「オリジナリティ」がその人間の価値を決める。自分が生み出した考えかどうか。他人から聞いた話をいくら披露しても、誰にも認められない。一方コンサルタントの方々はどうか。世の中の99人が知っている事でも、自分のクライアント1人が知らずに、自分の話に感銘を受けてお金を払ってくれればそれでビジネス成立、何も問題はない。「それはあんたが考えた事なの?」そんなことはどうでもいいことなのである。
まあ、生理的に受け付けないだけ、といえばそれだけのこと。距離を置いていればいいだけの話である。ところが最近はそうも言っていられなくなってきた。私の居る大学でも、「コンサルタントを名乗る人たち」が「教授」の名のつく仕事に就く様になって来た。学生から見たら、彼らの言っている事も我々の言っている事も区別がつかない。同じ「『先生』の言っている事」である。我々の言っていることと同じ様に彼らの言っている事を学生が信じてしまったらそれはひどく危険な事だし、逆に我々の言っている事も、彼らの言っている事と同じくらいにしか信用できない事と思われたらひどく心外である。
というわけで、今の私の興味はもっぱらその手の「教授」の名のつく人間をわれわれの大学からいかに排除するか、にある。

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投稿者 umemuro : 2005年05月06日 00:03

コメント

アドバイザーなる名刺で仕事してる私は、ギックっとしてしまいました。消費生活コンサルタントという類似資格もあるので(ちなみに、消費生活アドバイザー、消費生活コンサルタント、消費生活相談員を消費の3大資格という)。

ファイナンシャル・プランナーの世界もかなり、そんな感じが強くて、そんな受け売りで原稿書いたり講演したりしていいの?と思うことが多すぎ、資格は取ったけど名乗りたくない→この肩書きで仕事したくない、という心境に至りました。

しかし、悪貨は良貨を駆逐するのが世の習い?
1時間1万5000円の相談料をとる人気FPとかの内実を知ってしまうと、とても怖いです。

コンサルタント教授を大学から排除するのは、なかなか難しそうですが、勝算はいかに?

投稿者 yoko : 2005年05月06日 02:02

そうですねぇ。なかなか難しいと思いますが、まずは境界線を引く事から始めようかな、と思っています。
こっからそっちは悪貨。こっからこっちは良貨。みたいな。
境界線を引くための第一歩は、まずきれいにわけること、ですよね...

投稿者 umemuro : 2005年05月07日 01:35

「講演」と「講義」、「授業」の区別の付かない先生も困ったものですよね。東工大は一応大学なのに・・・

投稿者 oikawa : 2005年05月11日 14:07

「講演」が「業績」になると思っている人も居る様ですからたまったもんじゃありませんね。

投稿者 umemuro : 2005年05月11日 23:59

扇谷正蔵(誰?って世代がほとんどか)が講演ばっかりやるようになって堕落した、という話をよく聞かされ、講演ほど怖いものはない・・・と思ってました。

でも、1回4万円という薄謝なので引きうけてたら、

知人の評論家→今や政治家の人は、
「ボクなんて、大学の文化祭の講演でも20万取るよ(注:約20年前の話なんで、物価スライドして考えて下さい)。ダメですよ~、そんな安く受けちゃ」
と叱られました。

その後、私のギャラは4万だけど、間に入った会社が先方には10万で請求していたことが判明して、ぷっつり止めましたけど。怖いです、いろんな意味で。
感覚が麻痺していくんですね。
1冊本だしたら、それで何度でも講演出来ちゃうから。

投稿者 yoko : 2005年05月12日 16:55

はじめまして。
ネットサーフィンしていたら、こちらの大岡山日記に
辿り着きました。
記事、大変興味深く読ませていただきました。
僕は教授さんの言う事自体が問題ではなく、それに
どのような自分の考えを巡らせるかを重要だと思っています。
教授といえどオールマイティな人間ではありませんし、
勉強は深く考えた先から自分なりになにかを生産することに
意味があると思うからです。

こちらの記事にトラックバックさせていただいたのですが、
よろしかったでしょうか?
さほどアクセス数は多くありませんが、他に知られると
問題でしたら、メールください。
勝手に申し訳ありません。

投稿者 shiro : 2005年05月26日 04:44

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