« 2005年04月 | メイン | 2005年06月 »

2005年05月31日

遅い。

先週名古屋に出張に行って、新たに明らかになった悲しい事実。
私は自宅のPowerBook で、毎日の様に大学の Xserve とファイルのやりとりをしています。でも、百MBを超えるくらいの大きなファイルになると、この時間がけっこうバカになりません。しかし一方でインターネットの他のサイトの閲覧などはけっこうサクサク動くので、「ああ、東工大だし、いろんな人が使ってるし、きっと大学の入り口の所で混んでるんだろうな」などと思っていました。
ところが。
先週出張に行って、ビジネスホテルの「高速インターネットアクセス」のある部屋に泊まって、PowerBook をつないでいつもと同じ手順をやったら、なんとすごく速いではありませんか。所要時間だいたい数分の一くらい。
つまり、我が家の「ブロードバンド」はそんなに遅い、ってことか?
ちなみに我が家はまだ光ファイバではありません。建物自体が古いので、以前一度NTTに来てもらって工事の下見をした時に、「ファイバが通らないから無理です」と断言されて、それっきり。
やっぱり早く引っ越さなくてはだめかな...

05062005tsutsuji07S.jpg

投稿者 umemuro : 22:45 | コメント (2) | トラックバック

2005年05月29日

表現力

今週、名古屋で開催された Gerontechnology 2005 国際会議に行って来ました。
そこで3日間会議を聞いていて痛感したのが、日本人のプレゼンテーションの貧相さ。
研究発表を聞いていても、研究の内容は横に置いておいて(=今回の会議の場合褒められた発表はほんの一握りしかなかったけどそれはさておいて)、プレゼンテーションが下手なために損をしていると思われるものが多数。英語がしゃべれないということもあるとは思うけど、それ以上に、考えを論理立てて人に伝えるということがわかっていないんじゃないか、と思われるしゃべりの構成しかできていない発表が大部分だった。
それに比べて、欧米の参加者の発表の説得力のあること(こちらも内容はさておき)。構成(organization)が全然違うな、と思いました。特にアメリカなど、小学校の時から考えをまとめてプレゼンテーションする、ということをいやというほどやってきたのでしょう。中国の人の発表も説得力(?)はあったけど、こちらは「自分の言う事を納得させる」という勢い(?)みたいなものに押されて、という感じでしょうか。日本人でもたまに聴き入ってしまう発表がありますが、そういう人は大抵英語も達者。おそらく外国でプレゼンテーションとは何かをしっかり仕込まれた人たちでしょう。
このことが如実に現れていたと思うのは、第2日目と第3日目の luncheon seminar。それぞれ弁当を食べながら、企業から招いた講師の話を聞く、という催しで、両日とも日本人のマネージャークラスの人が話をしたのですが、これが対照的でした。1社はアメリカ資本の日用品メーカー。これはさすがというプレゼンテーションをしました。話のストーリー(構成)もよく考えられていたし、必要に応じて実際の製品を会場に回して手に取ってもらったり。対照的だったもう1社は日本を代表する電器メーカーですが、ひたすら自分の会社の製品の写真が載っているスライドをめくっては「これは××です」と一言くらいしか言い添えない。「見ればわかるだろう」「とりあえず見せて何か言った」タイプのプレゼン。日頃社内でどのレベルのプレゼンテーションが求められているか、の違いなんだろうな、と思いました。
なお、国際会議全体はどうだったか、と言うと、参加者がたった200人。半数以上が日本人で、しかも委員の先生がかき集めたと思われる発表が多数を占め、レベル的にも疑問符がつくものばかり。一言で言うなら、「弱小学会の国際会議ごっこ」という感じで、あんまり充実感は得られませんでした。
会場の名古屋国際会議場

投稿者 umemuro : 01:06 | コメント (1) | トラックバック

2005年05月19日

auの方針転換?

今日のニュースを読んでいて「あれ?」と思いました。auの新しい携帯電話 W32Kが発表になっていたからです。
NTT DoCoMo が昔から、明確に「高齢ユーザー向け」をうたった「らくらくホン」シリーズを出していたのに対し、au はこれまで「高齢者向け」をうたったモデルは出さず、「誰でも使いやすい」フレンドリーデザインで間接的に高齢ユーザにも訴えて行く戦略かと思っていました。それはそれで理にはかなっているんです。高齢者は、はっきりと「高齢者向け」とラベルが張られているものを敬遠する人も多いので。特にA5509Tなどは、ボタンを押す感触も文字の読みやすさもメニューの使い勝手も非常に良くできていて、私は「ああ、これが au の『らくらくホン』に対する解答なんだな」と思い込んでいました。
ところが今日のニュースリリースを見ると、明確に「エルダー層」をうたっています。「おや?」と思って製品をよく見ると、3箇所までのショートカットボタンなど、DoCoMoのらくらくホンそっくり。コンセプトもそれほど新しいものはなく、今までフレンドリーデザインでアピールして来たものを踏襲しています。いったいauに何がおこったのか? これまで「うちは陽に『高齢者向け』ではなく、『フレンドリーデザイン』で行くんだ」と主張していた人たちが、 Tu-Ka Sの成功などもあって「うちもはっきりと『高齢者向け』をうたったモデルが必要だ」という圧力に折れた形になったか?
何はともあれ、製品が出て来たら使ってみよーっと。

KDDIのニュースリリースの写真

投稿者 umemuro : 23:55 | コメント (4) | トラックバック

2005年05月15日

Spillover するカップラーメン

そのむかし 具多 が出た時に、私は熱狂的に支持しました。これはすごい。カップラーメンでここまでクオリティを追求できるか、と。で、まあその後の goota の成功は皆さんも記憶に新しい事だと思います。
で、最近は、具多の新作も出てますけど、月に3つも新作がでていた昔に比べれば "下火" ですよね。ひと月に1つ新作が出るかでないかくらい。
でもそのかわり、日清の他のカップラーメンを食べるにつけ、「あ、日清はこんなところで具多で培ったノウハウを使っているな」と思うことが多々あります。今日買って来た健多郎もそう。なにが健康路線なのかよくわかりませんが、でも「あ、このかやくの入れ方は、具多で培ったフリーズドライのノウハウだな」とか思う。他のラーメンを買えば「このレトルトは具多の時に確立した手法だよな」とか。
さらにあのムーブメントは他社にもすっかり転化しましたよね。200円から300円の価格帯のラーメンで、路線こそ違え、フリーズドライやレトルトで具を充実させる手法はすっかり市民権を得ました。
これを、うちの専攻の某研究室流に言えば diffusion とか spillover になるのかな?などと思った、と、それだけのお話でした。
図書館近くの住人

投稿者 umemuro : 01:01 | コメント (3) | トラックバック

2005年05月09日

エポックメイキングな出来事

私がメンバー(「事業推進担当者」)として名を連ねている21世紀COEプログラムに、Kという特任教授がいる。彼は、1月1日付けで民間から「特任教授」のポストに移った。
彼の最初の給与明細が来たのが2月の某日だが、それを見て彼は刮目した。こんなに給料が少ないのか。
普通は給与水準に不満ならその職業には就かないと思うのだが、彼は辞表を書く代わりに別の行動をとった。このCOEプログラムのリーダーであるW教授に直談判したのである。「私の給料は税込みで△百数十万円とのこと。私は税込み千☆百万円が自分の収入だと思っていた。これは相当深刻な問題だ」と。
実際には彼の勘違いで、税引後△百数十万円というのが人事部のその時の彼の給与査定だったのだが、そこからW教授は動き出した。さすが元高級官僚、大学の事務方から「ご意向の通りに従います」という言質を取った上で、他の「特任教授」の先例を徹底調査、千☆百万円の年収でおかしくないという論拠を積み上げ、複数の委員の合意と言う儀式を祭り上げ、K特任教授の年収を千☆百万円にしてしまったのだ。K氏が最初に認識した△百万円台からはざっと4百万円以上のアップ。その後K特任教授には3月に、1月に遡って差額が支給された。
これは、単に一人の特任教授の給料の話ではない。これまで国立大学時代から我々の給与の拠り所となってきた「標準俸給表」の制度を一気に形骸化してしまったという点で、実に画期的なできごとと言っていいだろう。すなわち、おとなしく人事の査定の俸給をもらっているやつはバカだ、自分の収入は自分で交渉して高いカネをもらうのが当然だ、というプロ野球選手的時代に、否応無くこの国立大学法人を放り込んだのである。今現在おとなしく旧来の制度に基づいた給料をもらっている人々と、そうやってネゴをして高い給料をとっている人間とが一時的に共存している、なんてことはたいした問題じゃないのだろう、きっと。
さあ、全国のCOEの特任教授として雇われている、あるいはその予定のある人たち。ゴネましょう!前例はここ東京工業大学にあります。「俺はこんな安月給ではいやだ」と言わなければ損です。着任時がチャンスです。最後に成功事例に学ぶtips をいくつか。
・「生々しい問題」であるように主張する。いくらこの給料で実際生活している教授が他に居ても関係ない。この給料では自分の生活が相当深刻な危機にさらされるかの様に言う。
・家族を引き合いに出す。「家族にも既にそう説明してしまった」などの文句が効果的。
・どんな書類でも、自分の人件費と関係のある数字の書いてあるものは覚えておいて論拠にする。「私はこの書類のこの数字が自分の給料だと信じて疑わなかった」と言って、あとはそんな書類を見せた側の責任にする。

夜のキャンパス

投稿者 umemuro : 00:07 | コメント (5) | トラックバック

2005年05月06日

いま嫌いなもの

だいたい私は根が天の邪鬼なので、嫌いなものが多い。私を知る人は、私が昔から「官僚は不能だ」(=潜在的に能力はあるけどそれを発揮できないしくみになっている)と言っているのを知っているし(だから国家公務員のI種合格を蹴ったし)、「政治家と飯を喰うくらいならうんこ喰った方がましだ」というのもこの先変わりそうも無い。で、今何が嫌いかと言うと、「コンサルタントを名乗る人間」が大嫌いだ。
誤解のない様に言っておくが、「コンサルタント」が嫌いな訳ではない。いわゆるコンサルタントにも尊敬できる人はたくさん居る。ただ、そういう尊敬に値する人は、えてして自らをコンサルタントなどとは呼ばない。一方、私が大学を出て某民間企業に勤めて大学に戻って今日に至るまで、自らの肩書きに「コンサルタント」とつけている人間でろくな人間に出会わなかった。たまたま私の運が悪かったのかもしれないが。
もちろん「コンサルタント」という職業を否定する訳ではない。「コンサルタント」だってりっぱな職業だ。ただ、上記の「コンサルタントを名乗る人たち」を生理的に受け付けないだけである。
私たち学者、すなわち academia の住人は、「ほんとうのこと」(あるいは、『真理』)を口に出して言うために、毎日それこそ「死に物狂い」の努力をしている。聞きかじった事は必ず裏を取る。読んだ事は必ず情報源を明示する。自分で考えた事は実証し、99%正しいと確信がとれてから初めて公言する。「語りつくし得ぬ事には沈黙しなくてはならない」(ヴィトゲンシュタイン)の世界である。「やつらの言っている事はまず『正しい』と信じていい。」これが、一部を除いて実体経済に直接的な貢献をしていないにもかかわらず、我々学者が社会で一目置かれてきた理由だと私は信じている。
一方で、「コンサルタント」はしゃべってなんぼ、の仕事だ。ものを話さないコンサルタントは存在価値がない。で、とにかくしゃべる習性の副産物なのだろう。彼らの話を聞いていると、週末に読んだビジネス書に書いてあった事でも、誰かと飲みながら聞きかじった話でも、とにかく話す。あたかも絶対の確信があるようにそれらしく話せばOK。真実かどうかの確証なんて関係ない。60%の勝算さえあればとにかく行く。それがビジネスというものだ。私には彼らがそういう風に映る。
加えて言うならば、我々学者は「オリジナリティ」がその人間の価値を決める。自分が生み出した考えかどうか。他人から聞いた話をいくら披露しても、誰にも認められない。一方コンサルタントの方々はどうか。世の中の99人が知っている事でも、自分のクライアント1人が知らずに、自分の話に感銘を受けてお金を払ってくれればそれでビジネス成立、何も問題はない。「それはあんたが考えた事なの?」そんなことはどうでもいいことなのである。
まあ、生理的に受け付けないだけ、といえばそれだけのこと。距離を置いていればいいだけの話である。ところが最近はそうも言っていられなくなってきた。私の居る大学でも、「コンサルタントを名乗る人たち」が「教授」の名のつく仕事に就く様になって来た。学生から見たら、彼らの言っている事も我々の言っている事も区別がつかない。同じ「『先生』の言っている事」である。我々の言っていることと同じ様に彼らの言っている事を学生が信じてしまったらそれはひどく危険な事だし、逆に我々の言っている事も、彼らの言っている事と同じくらいにしか信用できない事と思われたらひどく心外である。
というわけで、今の私の興味はもっぱらその手の「教授」の名のつく人間をわれわれの大学からいかに排除するか、にある。

consultant.gif

投稿者 umemuro : 00:03 | コメント (6)

2005年05月04日

Minute

アメリカに住んで居た時、「日本では列車が定刻より1分遅れたら、運転手は始末書なんだってよ」という話をしたら、まわりのアメリカ人は驚くと言うよりも、笑って相手にしてくれなかった。「なにバカなことを」という感じで。
また、日本でアメリカからのお客さんとの待ち合わせに遅れた時に、「日本人の良くも悪くもある所は、時間をquarter hour (1/4時間=15分)や half hour (1/2時間=30)単位でなく、分単位で行動するところ。だから電車が一本遅れると、その後の予定が全部狂ってしまう」なんて話もした。
「90秒遅れ、欧米では『時間通り』 日本では定刻が常識」(朝日新聞)
確かにアメリカへ行って電車に乗ると、時刻表なんてあってないようなもの、という感じを受ける。ボストンのグリーンラインなんか、駅の手前で電車が2両3両鈴なりになっている事もあるし。(まあグリーンラインは地下鉄と言うよりは streetcar だけど。)
でも、だからといって日本がきっかりしすぎで、「国際標準」に合わせればいいなんて全然思わない。時間通りきっかり仕事をするのは日本人の competence (競争力)で、工場などでの生産性・品質はそういった「国民性」に支えられていると思う。東京圏の鉄道が「ラテンの時間感覚」で運行されたら大混乱だろうし、私なんかストレスで血管が切れまくりだろう。(もっとも、大学の授業も「いつ始まるかわかったもんじゃない」でいいって言うんなら話は別だけど。)
しかし、運行時間に遅れを出した運転手に、草むしりさせたり、ペンキ塗りさせたり、就業規則の写本をさせたりするっていうのはいったいなんなんだ?
「遅れ回復の120キロ走行、運転士の常識 JR宝塚線」(朝日新聞)
今は江戸末期か明治時代か?こんなの「教育」でもなんでもない、体罰もまっさおの人権侵害じゃないのか?欧米ならそれこそ大問題だろう。これで遅れが無くなってそれでOKなのか?何も解決しない、ただ強迫観念を植え付けて終わりじゃないか。
1つ目の記事に、外国の鉄道関係者のコメントとして「遅れたら、なぜ遅れたのか原因を調べる。」というのがあった。なぜ遅れたのか調べて、遅れない様にする。こんなわかりやすい、生産的な方法がなぜとれないんだろうか?
こちらは是非「国際標準」に従ってほしいものである。

04182005tsutsuji03S.jpg

投稿者 umemuro : 02:16 | コメント (1) | トラックバック