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2005年04月26日

「安全」

電車に乗っていて、何もつかまらずに立っているときなど、ふと思うことが何度もあった。これって、時速80Kmで移動している板の上に、手放しで立っているようなもんだよな。風圧の影響がないにしろ、自分たち乗っている人間を転ばせないで時速0Kmから加速して時速80Kmまで速くなって、また安全に減速して0Kmに戻すなんて、考えてみればすごいことだよな。
これで時速80Kmの板の上に手放しで乗っている時に、もしも突然板が止まったらどうなるんだろう? そうなったらもうどうしようもないよなあ... そのまま体が時速80Km で飛んで行って... まあ、そんなこと、突然線路の前にゴジラでも現れて電車を鷲掴みにしない限りまず起こらないだろう...
今回の尼崎の脱線事故は、その「もしも」の恐怖を、いやというほど見せつけた。電車ごとマンションに突っ込んで行った人たちの恐怖と苦痛に、何を言葉にすればいいのかもわからない。上のようなことを考えることがあったただけに、想像するだに全身が凍り付く思いだ。
これから事故原因の究明が進むことだろう。でも、私たちは、今日も電車に乗って帰るしかない。今まで特に気にもしなかった、でも実は毎秒それが実現されていること自体がすごいことだったという電車の「安全」。今回の事故は、その「安全」に小さな疑問符をつけた。しばらくは電車の先頭車両には乗れないかも知れない。

※ ※ ※

事故で犠牲になった方々のご冥福を心よりお祈りします。また、怪我をされた方が一日も早く回復されます様に。

サツキの花

投稿者 umemuro : 01:35 | コメント (0) | トラックバック

2005年04月25日

今日のちょっとお疲れ

ここんとこ、ちょっと働き過ぎかな、って思います。新学期始まって以来週末も出てるし、泊まりも何回かやったし。
山の様にたまっていた仕事が少しずつ無くなって行くのは快感なんだけど、体がついて行かない。泊まると、いくらソファベッドで寝ても次の日のパフォーマンスは確実に落ちるから、そこを計算の上で泊まらなくてはならなくなったし...
ああ、分身が欲しい...
椿の花

投稿者 umemuro : 01:44 | コメント (2) | トラックバック

2005年04月18日

おしりとバッグと定期入

大学の私の研究室のある建物は、夜になると玄関に鍵がかかって、非接触のICカード(JR東日本のスイカと同じ様なしろもの)を玄関の脇の壁にある「受信機」にかざすと解錠されるシステムになっています。この「受信機」のついている位置が結構絶妙で、私の腰よりちょっと下、ちょうどおしりの位置くらい。で、私はいつもこのICカードを尻ポケットに入れているので、玄関前でちょっと腰をクネらせて尻ポケットを「受信機」に近づけるだけで解錠、ポケットからカードを出す必要なし、両手が塞がっていてもOK、という具合。別におしりを振らなくても、ショルダーバッグに入れておけば、バッグをちょっと壁に近づけるだけでOKでしょうね。実に良くできたシステムです。
それと対照的に、常々直せば良いのにと思っているのが、JRの自動改札。原理はうちの鍵と同じ、ICカード(スイカ)をかざせばゲートが開くんだけど、「受信機」が改札の機械の上に付いている。だから、いつもポケットやバッグからカードや定期入れを取り出さないといけない。あれを、うちの建物のドアと同じ様に、改札の機械の側面に付ければ、ハンドバッグや、それこそおしりをちょっと横の機械に近づければ良いのだから、両手のふさがっている人はもちろん、手を怪我した人も、手の不自由な人も、松葉杖の人も、車いすの人も、ずっと便利になるはず、とず〜っと思っています。(そういえば、JRの自動改札機対応で、バッグの「底」にスイカを入れるポケットが付いたハンドバッグが5万円とかで売られていたのを目にした記憶があります。)
建物の入り口のカギ建物の入り口のカギJRの自動改札

投稿者 umemuro : 00:38 | コメント (4) | トラックバック

2005年04月12日

新学期

今日から新学期の授業開始。新入生、古株、一斉にキャンパスに集まる。そして、また私たち(私だけ?)の新たな"闘い"が始まった。
何との闘いか? 正直言ってよくわからない。でも、闘いなのだ。私たちの世界に新たに入って来たものとの闘い? いや、別に彼らと闘う訳じゃないからなあ... あえて言えば、私たちの世界に新たに入って来たものについ腹を立ててしまう自分の心との闘い、か。
たとえば私たちの居る建物のロビースペース。今までも靴のままソファーの上に寝っ転がって、まるで自分の家のリビングの様にくつろいでいる連中を見て「なんだこの連中は?」と思っていた(そう言えばどこからかテレビを持ち込んで寝っ転がってテレビをみていたやつも居たっけ)。が、今日の午後通りかかると、ご丁寧になぜかカウンターの上に集められた、弁当の喰いカス。「自分に必要の無いものはその場に放置すればいいんだよ」と、今は居ない影たちが言っている。トイレに行けば、手洗い台に放置されたコーヒーの空き缶。これらを見て思い出したのは、いつか日吉の駅で見た光景。高校生らしき男の子たちがチョコレートを食べていたが、包装を解く度に出るゴミが、手から真っ直ぐホームの床に落ちる。「だって俺はこれ要らないから」と声なき声がしている。しかしこういう所作は、電車に乗り合わせたどこぞのどうでもいい、即時に挽肉にしてしまった方が世の中確実に良くなるバカどもの所作と思っていたが、そういう人間が東工大にも入って来たか。
彼らの親の世代は、私たちよりも少し上の世代。「自分の要らないものはどこにでも放置して良い」というしつけをしてきたか、あるいはしつけなど放棄して来たか。私たちの世代はまだその辺の良識は持っていたと思っていたので、実は私等は少数派の"保守勢力"なのではないかと恐ろしくなってしまう。だとすると、私たちと同年代、それより下の世代の子供たちはどうなるのか。英語や数学なぞいくらできても人間としての資質が欠けているものに教育などするつもりはないので、いざとなれば教育を"放棄"するか。
放置されたゴミ放置されたゴミ

投稿者 umemuro : 02:07 | コメント (3) | トラックバック