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2004年10月28日

フィルタを失った日本語

ほんの10年くらい前まで、私たちが読む日本語は「活字」がほとんどでした。それはすなわち、出版社なり新聞社なりがフィルタの役割を持っていたと言えると思うのです。あるフィルタに通して選ばれた人たちの書く日本語が、さらにプロ(校閲者など)のチェックを受けて世の中に流布される。言い方を変えればある程度の質の保障を受けた日本語しか広く人々の目にとまるところまで届かなかったということです。だから私たちが小学校で日本語を学ぶ時「新聞を読め」「本を読め」と言われました。もちろん昔からサブカルチャーのメディアはあって、そこでは当然「天声人語」とは異なる日本語が話されていました。でも一方で、その読者も周囲の人も、それは「○×という雑誌だし...」と「異質な」メディアであることを認識して区別していたはずです。
今日インターネットが普及して来て、私のこの稚拙な「日記」も含めて上記の様な「フィルタ」を通っていない日本語が広く人の目にとまる様になりました。たとえば「そのとうりです。」という様な表記をする文章を載せるサイトはそれこそたくさん、というよりごく日常的に目にします。新聞社のサイトへ行っても明らかな誤字や文法の誤りを見つける事があります。この状況で、昔ながらに読む事で日本語を学んでいたら、日本語に何が起きるのでしょうか。今「ああいう用例を見た憶えがあるから、きっとこれでいいに違いない」という覚え方をしている世代が習得する日本語はどうなるのでしょう?おそらくこの10年くらいで、日本人の話す日本語は質的に大きな変化をするでしょう。いや、おそらく同じ問題は世界のどんな言語でも起こるでしょう。そしてその原因の一つが「誰でも情報を発信できる」インターネットであることは間違いないはず。
私は必ずしも事態を「けしからん事だ」と言っている訳ではありません。言葉は生き物ですから、多くの人が「そのとうり」と書く様になって、なし崩しにそれが「正しい」用例になることも、長い日本語の歴史から見ればそれほどめずらしいことではないのでしょう。ただ、従来になく加速度的にかつ多様に変化しうる状況になっていること、そして多分これは言葉だけの問題じゃないんだろうなと思われることが、これからの「展開」をちょっと気にさせています。
牛ヶ淵

投稿者 umemuro : 2004年10月28日 00:18