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2004年06月27日

Pragmatism

今日辞書で pragmatism という単語を引きました。
「プラグマティズム」「実用主義」という訳語が欲しかったのですが、その次に「おせっかい, ひとりよがり, 頑固」とあって、直感的に、あ、私の事だな、と思ってしまいました。ま、自覚しているだけ良しとしましょう。
さらに最後に「学者ぶること」とあって笑ってしまいました。古今東西学者というものはそういう性格だと思われているんでしょうね。
(訳語はすべて小学館・リーダース英和辞典第二版より)
紫陽花

投稿者 umemuro : 20:49

2004年06月26日

すてきな椅子

昨日帰る時、大学の建物の中の、今まで何も無くてガランとしていたパブリックな空間に、突如テーブルと椅子が置かれているのに気が付きました。(木曜日泊まりだったので、もしかしたら前日からあったのかも知れませんが...)
大学にも、こういうすてきな椅子を選ぶ人がいるんだなあ、というか実際大学に置く椅子として選んでくれる様になったんだなあ、とうれしくなりました。これも法人化の恩恵なのでしょうか?
同じ建物の一階には Seven Chair (もどき?) があるし。優れたデザインに囲まれた環境に暮らせることは私にとってとても幸せです。
(誰かこの椅子の名前とデザイナーを教えて下さい。)
すてきな椅子

投稿者 umemuro : 20:57

2004年06月25日

ギャラリーオープンしました。

大岡山日記の中で使った写真を欲しいと言って下さる人が何人かいらっしゃるので、ダウンロードページを作ってみました。
ここにある写真は基本的にライセンスフリーなので、ご自由にお使い下さい。(著作権は梅室にあります。また人物の肖像権は各個人に帰属します。)
今のところ5月以降に日記に載せた写真+αがあります。4月以前のものは追々載せていきます。
ご利用になった時、あるいは見た感想等、メールかギャラリー上のコメントでいただけるとうれしいです。

投稿者 umemuro : 02:05

2004年06月22日

慶應SFCを訪ねました

先週慶應義塾大学のSFC(湘南藤沢キャンパス)を訪問する機会がありました。
最後に来てからもう5年くらい経つのですが、このキャンパスは一言で言えば本当に「明るい」。外を歩いていても建物の中に居ても。(世間一般のいう)大学のキャンパスってこういうところだよなぁ、って思うと同時に、こんなきれいで明るいキャンパスはそうそうないよなぁ、とも思う、不思議なところです。Appointment までのわずかな空き時間にいくらでも写真が撮れるほど「絵になる」キャンパスです。
福沢諭吉先生inSFC ぎりしゃなSFC 建物の中も明るいSFC 広いSFCのキャンパス 好きになった樹 とても気に入った風船

今回特に気に入ったのは、教室が前を向いていないこと。いつでもディスカッションできる態勢。ちょっとしたことなんだけど、でもこのキャンパスの精神を表しているようで、とても印象に残りました。
印象的な教室のレイアウト

投稿者 umemuro : 23:35

2004年06月19日

Academia (4)

(前回の続き) 今までの一連の話を読んで、「梅室はいつも自分の言っている事が正しいと思っている」という批判(?)をする人が居るかもしれません(実際居るのを知ってますけど)。私の答えはこうです。私は academia に住む人間の一人として「本当のこと」を言う事を仕事にしていると思っています。今自分の考えている事が正しいと思わずに、何が言えるでしょう?
もちろん私も人間ですから、時には誤った考えを持つ事もあるでしょう。そのときそれを正すための早道は、常に読む事を欠かさない事、そして考えを口に出したり実行したりして反論を求める事だと思っています。常に自分の考えが「正しいもの」であるように最善の努力をはらっているつもりです。ですから、今まで信じていた事が覆されるような新しい事実・意見こそ私が常に求めるものです。そしてそういった反論に出会うまでは、今自分が正しいと思っている事に強い信念を持っています。それは自分の専門分野であれ、自分の個人的な生活・人生に関する事であれ、常に「真理」を知りたいという点で同じことです。
そして「常に正しい事をしゃべること」を自分の仕事と自負している事、そしてそれを誇りに思っている事にだけは、いつでも胸を張れます。今私が座っているところから見えるところに、ハーバード大学のエンブレムが貼ってあります。そこに刻まれた「veritas」(真実)という文字を毎日眺めます。あれだけ大学が産業化し営利を求めて暴走しているアメリカという国にあって「真実」を掲げ続けるハーバード建学の精神を忘れてはならない、と。
真っ直ぐな樹

投稿者 umemuro : 21:27 | コメント (1)

2004年06月17日

Academia (3)

(前回の続き) 私はビジネス界にいる人たちが大学院に来る事については全く否定的ではなく、むしろどんどんいらして頂きたいと思います。ただし双方が注意すべき事は、academia が評価するのはその人が academia の観点から見て優れた仕事をしたかどうかの一点であるべきだ、という点です。ビジネスでの業績は本来経済的な報酬と社会的な地位で報いられるべきもの。Academia がビジネスでの業績をそれだけで評価する必要はないし、むしろ「世間」の評価から中立に、学術的評価をするのが academia の仕事のはずだ、というのが私の考えです。Bill Gates に名誉博士号を出した恥知らずな大学があるようですが、それは既に academia ではなく、利潤追求団体に身を落とした大学の末期の姿でしょう。
季節の花

投稿者 umemuro : 23:15 | コメント (1)

2004年06月14日

Academia (2)

(前回の続き) 一方、ビジネスの世界では事情が全く異なります。ビジネスの世界で重要なのは「スピード」と「結果」。新しい情報が出て来て、それが厳密に正しいとは言えなくても「大きな読み間違いは無いだろう」と思えればそれに基づいて行動が起こせるのです。新しいアイディアが出て来て、それが100%いつも正しいと言えなくても7割8割は行けるのではないかと思えれば、すぐに使ってビジネスに結びつけなければ競争に負けてしまいます。そして競合他社に先んじて利益に結びつけることができれば勝者なのです。元になった情報やアイディアが「真実」や「真理」を言いあらわしているのか、誤りを含んでいるのかなんていうのは結果が出ればどうでもいい事なのです。
ところが大学の学者先生たちは、情報がほぼ正確と言えるまでは表に出しません。新しいアイディア(ことばも『仮説』に変わります)が、本当に正しい事なのか、どの範囲で正しくてどの範囲で正しいとは言えないのか、誤りを含んでいないのか、をあの手この手で調べて(あるいは『検証』して)、それで初めて「これは正しいと言っていいと思われる」なんて言います。時には何年も費やして。これは当然の事ながら、ビジネスの世界に居る人から見れば待っていられない時間なわけです。
そんなわけで、いつもビジネスの世界に身を置いている人が academia に入って来ると、「作法」、すなわちやり方の違いに戸惑うケースが多い様に思えます。もちろん、ビジネス界での経験の蓄積の中から、普遍的な真実として言える『仮説』を抽出して、それを『検証』できればそれは立派な academia の仕事です。でも、ついついやり方・考え方の切り替えがうまく行かず、例えばごく少数の企業について調べた結果があたかもその業種全体にあてはまるような議論をしたり、2つのことが同じ様に変化しているという観測事実からそこに因果関係があると言い切ってしまったり、と言った事が散見されるわけです。そして当然のことながら academia の人間はそれを疑ってかかります。なぜならacademia の「真理」は、100人聞いたら 100人が納得できること。大目に見ても少なくとも99人とか95人とかが納得してくれることしか、本来語ってはいけないのですから。
夏の気配のキャンパス

投稿者 umemuro : 20:35

2004年06月12日

Academia (1)

私は「経営工学専攻」という大学院に籍を置いています。毎年このシーズンと12月になると(厳密に言うと3ヶ月に一回なのですが3月修了と9月修了の人数が多いので感覚的には半年ごとです)、博士課程の学生の論文公聴会があるのですが、公聴会、特に社会人博士課程の学生の発表を聞いてときおり疑問に思う事があります。我々の分野が宿命的に持つ特質なのかもしれませんが、発表を聞いていて、この人は自分がやったことから言えることと、推測にすぎないことの区別がついていないのではないか、ということです。
「?何の事だ?」という人も多いかもしれませんが、実はこれは大学のような academia (日本語で言うと学府?) の存在意義の根幹に関わることです。私は学者(=academiaの住人)の仕事は「真理の探究」だと思っています。平たい言葉で言えば「学者の仕事は『本当のこと』を言うことだ」、ということです。
「なんだそりゃ?そんな簡単な事か」と言わないで下さい。ここまでは絶対(あるいはかなりの確度で)正しいと言えるけど、これは見聞した「状況証拠」からおそらくこういうことじゃないか、としか言えない、という区別は実は大切で時に難しいのです。そしてヴィトゲンシュタインの「語り得ぬ事には沈黙しなくてはならない」を地でいっているのが学者と言う職業だ、と私は思っています。(そして加えて言うならば、我々はそれを誇りに思っています。)
一番わかり易い例がアンケート調査でしょう(これは心理学をはじめいろんな先生が常に声を大にして言っている事ですが、あえて繰り返させてもらいます)。ニュースで、「20代男性の75%が、こういう意見を持っています。」などと言うと、聞いた人は日本の20代男性全体のおよを75%がそう思っていると誤解します。これが例えば「東京工業大学出身の調査会社社員が、自分のサークルのOB名簿の電話番号40件に電話をかけた結果」だったと判明したらどうでしょう。「なんだそんな"特殊な"集団の話か」とみな思うでしょう。でも一般に「数字」はインパクト(あるいは説得力)が大きいので、みな好んで数字を使います。それが本当は東工大のあるサークルのOB40人しか表してなかったとしても。そして数字だけが一人歩きして、本来日本の20代人口の実態なんか全然わからないのに、聞いた人はわかった気になるし、しゃべった人はそれについて語った気になるのです。(もちろんアンケートのサンプルをできるだけ母集団全体に近づけようとする努力はあちこちで行われています。ただ一方、例に挙げたようないい加減なアンケートがまかり通っているのも事実です。)
夏のイチョウ並木

投稿者 umemuro : 22:50

2004年06月05日

何か言う気も起きない

「元気な女性が多くなってきたということですかな、総じて。」佐世保の事件を受けて、この国の防災担当大臣が記者会見で言った言葉だそうです。もうあきれるを通り越して何も言う気もしません。この程度の人間を国会議員にしてこともあろうに大臣にまで据えた有権者は、この無惨な体たらくを見て、いったい何を考えているのでしょうか?是非聞いてみたいところです。それとも、故・竹下登の迷言どおり「その程度の国民にこの程度の大臣」なのでしょうか。ならば私はこの国の「国民」から一抜けしたいと切に思います。
初夏の日差し

投稿者 umemuro : 09:22 | トラックバック

2004年06月04日

命と死をめぐって今思う事

ここ数回おちゃらけた(?)エントリーを続けて書きましたが、実はこの期間、自分はとても重苦しい気分でした。(その気分をうまく言葉にまとめられなかったから、おちゃらけに走ったのかもしれません。)それはもちろん、この間人の命が失われる悲しい出来事が続いていたからです。ひとつはイラクでのジャーナリストのお二人の襲撃事件、またひとつは長崎の女の子の事件です。
11歳の女の子が12歳の同級生を殺してしまったと言う事件が、速報で駅の売店の店頭に並んだのが火曜日。本当に悲しい、痛ましい事件です。双方のご両親や学校の関係の方々の苦しみは察するに余りあります。こういうとき人は(あるいはマスコミは)、加害者の特異性や、ネットワーク等の弊害にすぐ帰着させようとしがちですが、11歳とはいえ、一人の人間がもうひとりの命を奪うまで思い詰めたのです。そこに何があったのか、何がそこまで思い詰めさせたのかがわかるまでは、真実が明らかになるのをじっと待とうと思っています。ただ、理由が何であれ、まだ12歳の人間の命が失われた事、また、まだ11歳の人間がこれからの人生を、「人の命を奪った」という事実と向かい合って生きねばならない事の重大さに、言葉を失います。
それに先立って起こったのが、イラクでの襲撃事件。このニュースを聞いてやりきれないのは、先の拉致事件といい、なぜイラクで、政府なんかとは別の次元で地道にしかし着実に、イラクの人々のために活動をして来た人が、イラクの人の標的になってしまったのかという皮肉です。彼らはいかに深い悲しみの中で命を失った事か。逆に言えば、なぜイラクの人がそのような人を狙うまでに追いつめられた状況にいるのかについて、日本は何を考えているのでしょうか。なのに、というかなんというか、この事件について実に印象的な言葉がありました。「以前からイラクには入らないでくださいと勧告していたんですけどね。残念ですね」(小泉首相、5月28日)。この人間に率いられている日本国民の一人として底知れぬ情けなさを感じます。「行くなとおふれを出しているのに勝手に行きやがって。」という本音が透けて見えます。こんな国と言うか政府が、国民を守ってくれるとか、国民のために何かしてくれるとか、期待をするのもばかばかしいと思わせる一言です。
私はブッシュは嫌いです。でもこの国の首相に比べてブッシュがまだましだと思われるのは、アメリカでこういう事があったら、彼は間違いなく(というより合衆国大統領として当然の事なのですが)、国民を殺された事の悲しみと怒りを訴えるだろう、ということです(でもだからと言ってファルージャで無法をはたらいていいとは思いませんが)。それがポーズであれなんであれ、少なくともアメリカ国民は政府に共感と信頼を寄せる理由を与えられるのですから。
おりもおり、私は数週間前に、「電池が切れるまで」(角川書店)の、「命」の詩を読んだばかりでした。その直後だっただけに、この二つの悲しいニュースはいっそうやりきれないのです。

投稿者 umemuro : 01:11

2004年06月02日

Risk-taking

三菱自動車が先月末「パジェロ」や「コルト」など立て続けに特別仕様車を発表していました。
今三菱の車を買う人はよっぽど risk-taking な人だと思いますが、リスクに見合うだけのリターンはあるのでしょうか? たとえば渋滞になったら翼が出て空を飛べるとか、運転中に携帯電話がかかって来たらエアバッグから運転手が出て来て運転を代わってくれるとか...
(え? MIB2の見過ぎ? でもそれくらいのリターンがなきゃあ...ねぇ?)
日没直後・微妙な空の色

投稿者 umemuro : 22:38

2004年06月01日

Are You Assimilated?

下の写真は、私がアメリカで買って来たTシャツのうちのお気に入りの一つです。
Windows 風の警告ウィンドウの中に、
  「我々はマイクロソフトである。
   抵抗は無駄だ。
   おまえは我々に同化される。」
というメッセージ。そして下にひとつだけあるボタンには "continue" 。
結構キツいジョークですが、でも非常にいいセンスしている、と私は思います。
Are You Assimilated?
万が一欲しくなった人がいたら、ComputerGear のサイトへどうぞ(^_^)

投稿者 umemuro : 00:25