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2004年03月25日

フツーの人の静かな暴力 (5)

(前回の続き) 何も言われない範囲なら許されると思っている「普通」の人たちから、無言で押し付けられる、絶え間ない「暴力」。この状況をもしなんとかしたいと思ったら、私たちはどうすべきなのか。
正直言って私には正解はわからない。先の「ルールに違反したときに何が起こるか」の議論からすぐに思いつくのは、なんらかの「罰」、つまりネガティブなフィードバックを与える事である。みんなもっと怒ろう。可能ならアメリカのように訴訟に持ち込もう。心理学屋さんの理論によれば確かに有効だろうし、もしも怪我をしたとか重大な損害を受けた場合には当然行うべきことだ。だがその他の場合には実際困難がある。以前関西の電車の中で、お年寄りが近くに立っているのに優先席に座って携帯電話を使っている女子高生に(関西でも優先席付近は携帯電話をOFFにするルールのはず)、怒鳴った上暴行したとして逮捕された男がいたと報道された。私個人としては、この男は怒るところまでは良かったと思う。しかし、暴行してはいけない。でも実際にこういうことをやろうとすると、ケンカ沙汰になることは少なくないのではないだろうか。いわゆる「逆ギレ」。理由はもちろん、普段あまりにも何も言われないので、他人が不快感を示したり、ルール違反を指摘したりすることが理解できないから。それに加えて、年配の世代でも多分権力崇拝の裏返しで、警察など権力に何か言われるのはわかるが、普通の社会の構成員である他人に何か言われるのは許せない、と思っている人も少なくないようである。いずれにしろ、自分に非があると思えない(気が付けない)人間にネガティブなフィードバックを与えるのはリスクを伴う。
もしもネガティブなフィードバックで行くなら、「小さい」フィードバックを、しかし出来るだけ多人数が同時に与えるようにするのが良いのではないだろうか。例えば、誰かがホームでタバコに火をつけたら、一瞥する。これだけでも「あなたの行動を私は気にしている」というサインになる。そして、もし10人に一斉に一瞥されたら、たとえそれでキレるにしてもいったい誰にキレたらよいのかわからないだろう。そして不愉快に思っている人間が決して少数派でないことを悟るだろう。この場合、そういう行動をした時にできるだけ頻繁にフィードバックを受けるよう、マメに実行することが大切。でも誰でも心がければ簡単にできる事でもある。
ネガティブなフィードバックは何よりもその場を管理する立場にある機関に強くお願いしたい。本来胸を張ってそれが出来る立場にいるのだから。例えば先日禁煙のホームのベンチで平気でタバコを吸っている男の横で、こそこそとホーキとチリトリで黙ってゴミ拾いをしていた駅員がいたが、私に言わせればただの給料泥棒。「一応お客様だから」ということで機嫌を損ねたくないという言い分なのかも知れないが、一人のクズのような客の機嫌を取る代わりに、他の多くのきちんとルールを守る客の信頼を裏切っていることに気が付いていない。
ネガティブなフィードバックよりも、個人的に勧めたい、お願いしたいのは、ポジティブなフィードバックをきちんと返す事。先の電車の7人がけの座席の例なら、私の目の前で詰めてもらったら、どちらでもいいな、と思っても出来るだけ座るように心がけている。詰めた甲斐があったと思ってもらえるように。そして軽く会釈するのを忘れないように。年配の方も、席を譲られたら、たとえ一駅でも座ってほしいと思う。また、良い行動をきちんと認める事。ぶつかられた時、謝って来たら無視せずきちんと応対する(かせめて会釈する)。優先席で携帯電話の電源を切る子供がいたら一言褒める。ホームのタバコの吸い殻を拾う子供がいたら一言褒めて、「俺に対する当てつけか」などという言いがかりをつけてくるバカな大人からきちんと守る。確かに気恥ずかしい。でもどうせ勇気を出すなら、ネガティブな事を言うよりずっと気が楽なはず。こうして良い行動が人々の間にじわじわと学習されていけば、必然的に「静かな暴力」も影を潜めていくのではないか、と思っている。
まだ「正解」はわからない。でも「世の中なんて変えられない」と必要以上に無力感を覚える必要はないと思う。私たち自身の行動で、人の行動も少しずつ変えられるはず。
心の平和

投稿者 umemuro : 2004年03月25日 22:37

コメント

初めてコメントします。

確かに日本ではルールを守らないというのはありますよね。

ボクが海外に行って一番最初にびっくりしたのが、車が歩行者のために止まることです。
シアトルでの話しですが、ボクと友人が横断歩道の前で待っていたら、かなりのスピードで走っていた車がボクらの前でピタっと止まりました。

ボクは多少車道にはみ出し気味にたっていたので、”あ、まずいな。邪魔だったから、怒っているのかな?”とちょっとビクビクしてましたが、ドライバーはにっこりと笑顔で、渡ってちょうだいというジェスチャー。

いい人だなぁとボクはそのとき思ったのですが、アメリカやヨーロッパをその後旅して回るうちにわかったのですが、それは当たり前のことなんですね。向こうでは。

日本ではかなり珍しい光景です。信号でもついてない限り車が優先という状況ですから。

自動車学校で知ったのですが、ルール上はアメリカやヨーロッパで日常的に行われているように車が止まらなきゃいけないんですよね。日本でも。

投稿者 Taku Suzuki : 2004年04月05日 11:58

梅室です。コメントありがとうございます。数日間気が付かなくてごめんなさい。(確かMTはコメントをもらうとメールで知らせてくれるはずだったのに...^^;)
私もまだ海外旅行の回数が少ない頃(アメリカではなくカナダでしたが)、みごとに車が止まってくれるのにびっくりしました。シリーズ(2)で書いた言葉を使えば「車社会の成熟度の違い」かも知れません。
あと、これは私よりずっと海外生活の長い友人から教わった事ですが、ドライビングスクールなどでは、自分の身の安全を守るテクニックとしてアイコンタクトを強く薦められるそうです。歩行者とドライバーが、互いの目を見る。そして相手の意図を知ったり、そもそも相手が自分に気が付いているかを知る事ができる。なかなか相手の目の中を見て話す事のできない日本人には難しいかもしれませんが、でも言われてみれば確かにうなずけることですよね。で、私はできるだけ路上で実践していますが、最近視線を遮る車が増えて来て難しくなっているのは残念な事です。

投稿者 うめむろ : 2004年04月10日 15:00